$1=¥0・01の日「バブル2世の伝説より」   伊藤えん魔

 カーテンを開けると、ニューヨークの街が一望できた。俺を起こしに来たボーイに100円硬貨を放り投げてやると、彼は俺に大声で礼を言った。
「OH! ボス、ビッグマン! わたしはあなたの下僕デス。わたしはロデムといいマス」
 片言の日本語はわかり辛かったが、俺が滞在している間は何でも自分に申し付けて欲しいと言う。
「ボス、ニューヨークにはいつマデいるのデス? もしいつまでもいるなら、いつまでもイロ」
 愛敬がある笑顔が気に入り、俺はロデムを専属ガイドとして雇う事にした。

 円が異常高騰し、ドルが急落の様相を見せたのは2007年の春頃。1ドル=0・01円で取り引きが行なわれたのである。つまり100ドル=1円、アメリカで旧為替100万円の価値が100円という事になる。
「そうだな・・・、車でも買おうかな」 「車ならばディズニーの絵柄が最高ネ!」

 ロデムの趣味は悪かった。相当悪かった。とにかく、俺達は最新型クライスラーを扱うディーラー店『ロプロス』を訪ねた。購入する車を巡って、担当者とロデムがあれこれうるさく交渉していた。面倒臭いので俺は「すべてイエスだ」と答えてやった。数時間後、車庫から現われたクライスラーは総ピンク色、ドアにはハリウッドマークを相手にぶつかり稽古をしている相撲取りが描かれ、ボンネットではミッキーとミニーが和服でキスをしていた。

「たった3万ドル(300円)でス! 最高ネ! でもドナルドが描かれてない! 残念シット!」
 助手席ではロデムが不満をぶちまけていたが、俺は初めての左ハンドルに夢中になっていた。それから2週間、俺はどでかいクライスラーを乗り回し、ニューヨークという世界一の都会で遊びほうけた。ロデムは優秀なナビゲーターで、面白い場所を沢山案内してくれた。毎晩10円のフルコースを食らい、100円でスペシャルスイートに泊り、1000円で高級カジノを遊び歩いた。俺は持ってきた小遣いが続く限り贅沢を楽しんだ。やたらと見かける日本人達も俺と似たような振る舞いをしているらしい。日本人の周りにはいつも白人黒人プエルトリカンがごちゃごちゃ溢れていた。

 やがて、24thストリートには「10エンチョウダイボーイズ」と呼ばれるホームレスの少年達が溢れ、日本人を見ると路上に飛び出してくるようになっていた。先週、自由の女神を強引に買い取った日本人が反日テログループに射殺された。俺を見るアメリカ人の眼は「羨望」から憎悪に変わっていた。ロデムの勧めでポセイドンという大男をボディガードとして雇う事にした。同じ頃、他の日本人達もようやく気がつきだしたようで、身の危険を感じた奴から早々と帰国しているようだ。いつの間にか街を闊歩していた派手な日本人の姿は消えていた。

 そんな夜、俺はなんとなくマンハッタン島を眺めていた。億万長者の憂欝という訳ではないが、俺にはマンハッタンブリッジから眺める1000万ドルの夜景がせいぜい10万円程度にしか見えないのだ。どういう訳か涙が溢れてくる。ポセイドンが買ってきた今朝の新聞に「$1=¥0・0001」と言う記事が報じられていた。日本ではアジアの小国が欧米サラリーマンの月給程度で売りに出されているらしい。

「帰っても仕方ないが、そろそろ日本に帰らなきゃ・・・」
 ロデムに日本へのチケットを頼もう。俺はフラフラと地下のパーキングに戻った。だが、俺のクライスラーはポセイドン達ボディーガード達とともに姿を消していた。ロデム一人が佇んでいる。
「ボス、残念だけド、ゲームオーバーデス」 「・・・?」
「ついさっき、とうとう$1=¥0になったヨ。日本は世界一価値のない国になっちゃたデス」


 そうか。そうなったんだ。俺はポケットをまさぐってみた。手には100円硬貨が一枚きり。  どこの国とも交換レートが成立しない金属片がそこにあった。